「戦争と女性の人権博物館」日本後援会

連続学習会2010第2回(旧ユーゴ)追加資料

フォチャ事件起訴状(要約)

ブク・ビエラにおける拷問とレイプ

・1992年7月3日、被告人ゴイコ・ヤンコビッチが指揮し、またヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチ、ゾラン・ヴコヴィッチを含む兵士らが、少なくとも60人のムスレム人女性、子ども、少数の高齢者男性を、トラサニ村、ミエサヤ村から拘束し、ブク・ビエラに連れて行った。フォチャが攻撃された後に、トラサニ村、ミエサヤ村では武装抵抗が起きた。

・ブク・ビエラに数時間拘禁されている間に、すべてのムスレム人がドリナ川に沿って並ばされ、武装兵が監視した。ムスレム人たちは、殺すかレイプすると脅され、さもなくば屈辱された。兵士たちは個々の拘禁された市民に近づき、彼または彼女を上記の被告人の前に尋問のために連れて行った。兵士たちは女性と子どもを分けた。ゴイコ・ヤンコビッチ、ヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチ、ゾラン・ヴコヴィッチは、女性たちを尋問した。尋問は、男性の村人と武器が隠してある場所に集中した。被告人は嘘をつけば女性たちを殺害し性的に暴行すると脅迫した。ヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチおよび他の兵士たちは、ゴイコ・ヤンコビッチの統制下のもとで行動し、嘘をついていると疑われた数人の女性を尋問の間またはその直後、集団レイプした。

・証人番号FWS-75は、ゴイコ・ヤンコビッチとドラガン・ゼレノヴィッチから、彼女の村について、村人たちが武器を持っているかどうか尋問を受けた。ゴイコ・ヤンコビッチは、嘘をつくな、さもなくば、兵士たちにレイプされて殺されるぞ、と警告した。FWS-75が質問に十分に答えなかったため、一人の兵士が彼女を別の部屋に連れて行った。そこには特定されない少なくとも10人の兵士がおり、順番に彼女をレイプした。FWS-75は、10人目の兵士が性的に彼女を暴行した後に意識を失った。性的暴行の事実は、1時間から2時間の間続いた。

・15歳の証人FWS-87は、ブク・ビエラの1室でドラガン・ゼレノヴィッチと、特定されない3人の兵士から尋問された。尋問の間、彼らはFWS-87が真実を話していないと非難した。尋問者たちは彼女の服を脱がせた後、それぞれが彼女をレイプした。最初の兵士は銃を彼女の頭に突きつけて脅しもした。FWS-87は暴行の間ひどい痛みを経験し、重い膣からの出血となった。

・さらなる証人FWS-48は、ブク・ビエラでヤンコ・ヤニッチによって尋問された。尋問の間、ヤンコ・ヤニッチは強制的に彼女の衣服を脱がせた。FWS-48が抵抗しようとすると、彼は彼女を平手打ちし、押しながら、彼女をレイプするために10人の兵士のところに連れて行くと脅迫した。ヤンコ・ヤニッチはそれからFWS-48をレイプした。

・4番目の証人FWS-74はヤンコ・ヤニッチによって尋問のための部屋に連れて行かれたが、そこには特定されない1人の兵士がいた。尋問の間、ヤンコ・ヤニッチはFWS-74に服を脱ぐよう指示した。この時に他の兵士がヤンコ・ヤニッチに部屋を出て行くよう頼んだ。ヤンコ・ヤニッチが去った後で、兵士はGWS-74の服を脱がせた。だいたい20分間の間に、この兵士は彼女をレイプした。

・被害者FWS-75、FWS-87、FWS-48、FWS-74に関連する先述の行為および不作為により、ゴイコ・ヤンコビッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のf、拷問。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のg、レイプ。

・重大な違反。法廷規定第2条(b)、拷問。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条およびジュネーブ条約第3条(1)(a)、拷問。

・被害者FWS-75、FWS-87に関連する先述の行為および不作為により、ドラガン・ゼレノヴィッチは同様の罪に問われる。

・被害者FWS-48、FWS-74に関連する先述の行為および不作為により、ヤンコ・ヤニッチは同様の罪に問われる。

フォチャ高校における拷問とレイプ

・フォチャの町の奪取に引き続いて行われた占領の期間中、アラジャ地区にあるフォチャ高校はセルビア兵士の兵舎として使われ、モスレム人女性、子ども、高齢者を短期間拘束する施設としても使われた。

・1992年7月3日からだいたい13日まで、フォチャ自治体の少なくとも72人のモスレム人住民がフォチャ高校の2部屋の教室に拘束されたが、その中には前述のブク・ビエラで捕まっていた女性、子ども、高齢者が含まれていた。1992年7月13日かその前後、すべての被拘束者がフォチャ高校からフォチャにあるパルチザン・スポーツホールに移送された。

・フォチャ高校では、被拘束者たちは武装したセルビア兵士に囲まれていたが、兵士たちはフォチャ高校の外部をパトロールし、常に建物を出入りしていた。フォチャの警察署から来た2人の武装警察警備員もおり、拘束部屋の外側の廊下をパトロールしていた。

・フォチャ高校での拘束の間、多くの女性被拘束者が性的虐待の対象となった。彼女らの拘束の2日目から、毎晩、セルビア兵士の複数のグループが、教室や隣接するアパートで、若い女性と少女を、集団レイプも含めて性的に暴行した。その中に、下に記載の通り、証人FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95、FWS-74、FWS-88がいた。兵士たちは、女性たちと女性の子どもたちが、性的暴行を受けるのを拒めば殺す、と脅迫した。敢えて性的暴行に抵抗した女性たちは殴られた。上述した兵士たちのグループは、軍事警察のメンバーで構成されていた。彼らは自分たちを「コサの護衛」と呼んだが、これはコソヴィッチの軍事警察の地方司令官に由来する。被告人ゴイコ・ヤンコビッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチ、ヤンコ・ヤニッチ、ゾラン・ヴコヴィッチはこれらの兵士グループの中にいた。

・これらの性的暴行の結果、多くの女性被拘束者の身体的および精神的健康は深刻に悪化した。何人かの女性は完全な消耗、膣からの膿、膀胱の問題、不正規の生理出血に耐えた。被拘束者たちは常に恐怖の中で生活した。性的暴行を受けた何人かの女性は、自殺しようと考えるようになった。他の女性たちは、自分たちに何が起きたか無関心になり、鬱状態になった。

・1992年7月6日または7日前後、ドラガン・ゼレノヴィッチはヤンコ・ヤニッチ、ゾラン・ヴコヴィッチと共謀し、FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95を被拘束者のグループから選んだ。被告人らは証人たちを、特定されない兵士らが立って待っていた別の教室に連れて行った。ドラガン・ゼレノヴィッチは、どの女性がどの男のところへ行くべきかを決定した。女性たちは衣服を脱ぐよう命じられた。FWS-95がそれを拒むと、ヤンコ・ヤニッチは彼女を殴り、銃を向けた。それからドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-75を、ゾラン・ヴコヴィッチはFWS-87を、ヤンコ・ヤニッチはFWS-95を、同じ部屋でレイプした。他の兵士の一人はFWS-50を別の教室に連れて行き、彼女をレイプした。

・1992年7月8日頃から13日頃の間、前節で描かれた性的暴行に加えて、少なくとも別の5つの出来事について、ドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-75とFWS-87を性的に虐待した兵士グループを指導した。最初に、女性たちはフォチャ高校の別の教室に連れて行かれた。そこでゾラン・ヴコヴィッチとドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-75と FWS-87をレイプした。

・1992年7月8日頃から13日頃の間、3つの出来事について、FWS-75と FWS-87はフォチャ高校から、フォチャの中心にあるブレナと呼ばれたアパートのビルに連れて行かれた。このビルはゼレンゴーラ・ホテルの近くにあり、セルビア勢力の軍本部が置かれていた。最初は、2人の女性はドラガン・ゼレノヴィッチが所有しているアパートに行った。被告人ヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチおよび2人の特定されない兵士たちは、ドラガン・ゼレノヴィッチがFWS-87をレイプしている間に、FWS-75をレイプした。

・1992年7月8日頃から13日頃の間、もう1つ別の出来事について、FWS-75と FWS-87、Z.Gはドラガン・ゼレノヴィッチによって、ゴルニエ・ポリエにあるモスレム人警官の捨てられた家に連れて行かれた。そこでドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-87をレイプした。1人の特定されない兵士がZ.Gをレイプした。

・1992年7月8日頃から13日頃の間、前節で描かれた行為に加えて、FWS-75はフォチャ高校の異なった教室で性的に暴行された。彼女は以前、FWS-95が性的暴行を受けた時に、打たれ、脅迫されていたために、再び兵士らに抵抗することは敢えてしなかった。彼女は数え切れない回数、多くの犯人にレイプされた。その中に、ヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチ、ゴイコ・ヤンコビッチがいた。

・1992年7月8日前後、ヤンコ・ヤニッチはFWS-74を選び出し、フォチャ高校の空き部屋に連れて行った。その部屋への途中、彼女はヤンコ・ヤニッチと口論になった。その時、ドラガン・ゼレノヴィッチが通りかかり、前線の100人の兵士のところに連れて行くと彼女を脅迫した。この脅迫の後で、彼女はヤンコ・ヤニッチにレイプされた。

・1992年7月8日前後、ヤンコ・ヤニッチはFWS-88をブレナ地区にあるアパートに連れて行った。そこで一晩中、ヤンコ・ヤニッチは繰り返し彼女をレイプした。こうした行為の前には彼女は処女だったために、FWS-88はレイプの間恐るべき痛みを経験した。2日後、ヤンコ・ヤニッチは彼女をバス・ステーションの近くにある、モスレム人金細工職人の家に連れて行った。そこで、ヤンコ・ヤニッチは再び彼女を2回レイプした。

・被害者FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95に関連する先述の行為および不作為により、ドラガン・ゼレノヴィッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のf、拷問。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のg、レイプ。

・重大な違反。法廷規定第2条(b)、拷問。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条およびジュネーブ条約第3条(1)(a)、拷問。

・被害者FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95、FWS-74、FWS-88に関連する先述の行為および不作為により、ヤンコ・ヤニッチは同様の罪に問われる。

・被害者FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95に関連する先述の行為および不作為により、ゾラン・ヴコヴィッチは同様の罪に問われる。

・ゴイコ・ヤンコビッチも同様の罪に問われる。

ドラガン・ガゴビッチによって行われた
パルチザン・スポーツホールでの迫害

・1992年7月13日頃から8月13日まで、少なくとも72人の被拘束者がパルチザン・スポーツホールに拘束された。

・被告人ドラガン・ガゴビッチはフォチャの警察署長であり、モスレム人女性の拘束と解放を担当している者であったが、モスレム人住民の監禁に参加した。

・パルチザン・スポーツホールは警察署から約70メートルしか離れておらず、警察署を含めて回りからよく見える。パルチザン・スポーツホールは武装警官によって警護されていた。

・パルチザン・スポーツホールの環境は最悪だった。性的暴行を含む身体的・精神的拷問が行われた。2人の女性がセルビア兵士に殴られたことが元で死んでいる。

・1グループ3人から5人のセルビアの武装兵士がたいてい夜、パルチザンに入り、女性たちを連れ出した。入口の警護は兵士らが入るのを止めようとしなかった。女性たちが抵抗したり、隠れた時には、兵士らは女性たちに従うよう強要するために、殴り、脅した。セルビア兵士らは、女性たちを家やアパート、またはホテルや兵舎に連れて行った。性的暴行の対象となった女性たちの中に、証人FWS-48、FWS-87、FWS-75、FWS-50、FWS-95がいる。

・特定の性的暴行に加えて、特定されない兵士らが、証人FWS-31とFWS-95を数え切れない回数、証人FWS-51を1回パルチザンから連れ出し、さまざまな場所で彼女たちを性的に暴行した。

・1992年8月12日前後、FWS-95とH.Bがフォチャのスタジアムに連れて行かれた。モンテネグロ人とセルビアからの兵士を含む大きな兵士グループがいた。その夜、数え切れない兵士らが、スタジアムのベンチの上でFWS-95とH.Bを集団レイプした。他の兵士グループはそのシーンを見ていた。

・同日の夜、数人の兵士らが、FWS-95とH.Bをブク・ビエラに連れて行った。兵士らは彼女たちを引き離しレイプした。

・二つの犯人グループがあった。一つは「コサの護衛」であり、パルチザンと同様にフォチャ高校でも犯罪をおこなった。他のグループはドラゴリュブ・クナラッチの指揮下にあり、大部分はモンテネグロからのセルビア非正規兵士で構成されていた。

・1992年8月13日前後、大部分の非拘束者がパルチザンから解放され、モンテネグロに送還された。女性たちはモンテネグロで初めて医療ケアを受けた。多くの女性たちは、性的暴行のために恒常的な婦人科的被害をこうむっていた。少なくとも1人の女性はもう子どもが産めなくなっていた。性的に暴行されたすべての女性が精神的および感情的被害をこうむっており、数人は心的外傷(トラウマ)が残っていた。

・ドラガン・ガゴビッチは、フォチャの警察署長としての権限と、フォチャにおけるモスレム人女性の拘束を担当していた者として、パルチザンの拘束状態について責任を有する。彼は同様に被拘束者の解放と出る許可についても責任がある。ドラガン・ガゴビッチは、パルチザンの野蛮な生活状態を知っていた。彼は自分の身で数え切れえない回数パルチザンを訪れ、女性たちが生活する状態を見ていた。彼は同様にパルチザンでの女性への性的暴行についても知っていた。ある場合には、警備員は、ドラガン・ガゴビッチに性的暴行の苦情を訴えるために、数人の被拘束者が警察署に行くのを許可した。警察署長としてモスレム女性の拘束について責任があるが、ドラガン・ガゴビッチは拘束状態の改善と性的暴行の予防のために、必要かつ合理的な方途をとるのに失敗した。

・これらの行為および不作為について、ドラガン・ガゴビッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条(h)。政治的、人種的、または・および宗教的背景に基づく迫害。

・重大な違反。法廷規定第2条(c)。故意による重大な障害。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条およびジュネーブ条約第3条1(c)。個人の尊厳に対する侵害。

パルチザン・スポーツホールにおける、
ドラガン・ガゴビッチによるFWS-48に対する拷問とレイプ

・1992年7月16日頃、FWS-48とFWS-95は、性的暴行についてドラガン・ガゴビッチに不平を訴えるために警察署のビルに行った。この不平の結果、翌日のほぼ10時30分頃、ドラガン・ガゴビッチはパルチザンに入り、FWS-48に尋問するからついてこい命じた。ドラガン・ガゴビッチはFWS-95とFWS-48を近くのアパートに連れて行った。アパートに行く途中、FWS-48はパルチザンで起きている継続的な性的暴行について、ドラガン・ガゴビッチに話した。アパートで、ドラガン・ガゴビッチはFWS-48を、調書を取るかのような部屋に連れていき、FWS-95はキッチンで待っていた。ドラガン・ガゴビッチはFWS-48をベッドに押し倒し、彼女の服を切り裂いた。FWS-48は抵抗し、ドラガン・ガゴビッチはピストルで彼女を脅した。性的暴行について彼女が報告したことを罰しあるいは脅かすために、ドラガン・ガゴビッチはそれからFWS-48をレイプした。性的暴行の間、ドラガン・ガゴビッチはライフルをFWS-48の首に突きつけた。暴行の後、ドラガン・ガゴビッチはFWS-48に対し、彼女をレイプしたことを誰かに話したら、5カ国を探し回っても彼女を見つけると言って脅迫した。

・上記の行為に関し、ドラガン・ガゴビッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のf、拷問。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のg、レイプ。

・重大な違反。法廷規定第2条(b)、拷問。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条およびジュネーブ条約第3条(1)(a)、拷問。

パルチザン・スポーツホールにおけるFWS-48、FWS-50、FWS-75、FWS-87、FWS-95および他の女性たちに対する拷問とレイプ

・FWS-48、FWS-95、FWS-50(16歳)、FWS-75、FWS-87(15歳)は、1992年7月13日頃から8月13日までの拘束期間中、セルビア兵士らから頻繁にレイプされた。ほとんど毎晩、兵士らはFWS-48、FWS-95、FWS-50、FWS-75、FWS-87をパルチザンの外の家やアパートに連れ出し、彼女たちを性的に暴行した。

・1992年7月13日前後、ヤンコ・ヤニッチはパルチザンの向かい側の家でFWS-48をレイプした。特定されない他の2人の兵士が他の2人の女性たちをレイプした。

・同じ日の夜、ヤンコ・ヤニッチが女性たちをパルチザンに戻した後で、ドラゴリュブ・クナラッチが同じ3人の女性たちをゼレンゴーラ・ホテルに連れて行った。FWS-48が彼と行くのを拒むと、ドラゴリュブ・クナラッチは彼女を蹴り、引きずり出した。ゼレンゴーラ・ホテルでFWS-48は別の部屋に置かれ、ドラゴリュブ・クナラッチとゾラン・ヴコヴィッチが彼女をレイプした。2人の犯人はともに、彼女は今度はセルビア人の子どもを産むだろうと言った。

・1992年7月、証人FWS-87は頻繁に連れ出されレイプされた。ある時は、彼女はドラガン・ゼレノヴィッチとゾラン・ヴコヴィッチを含む4人の兵士らから集団レイプされた。

・2回にわたって、ドラゴリュブ・クナラッチはFWS-87をモンテネグロ軍の本部に連れていったが、彼はそこで彼女が性的に暴行されるだろうことを知っていた。2回とも、2人のモンテネグロ人兵士らが現れ、FWS-87をレイプした。

・パルチザンでFWS-87を頻繁に性的暴行をした中に、ヤンコ・ヤニッチ、ゴイコ・ヤンコビッチ、ドラゴリュブ・クナラッチがいた。頻繁な性的暴行のために、パルチザンにおける拘束の期間中、FWS-87は自殺願望を持つにいたった。

・ドラゴリュブ・クナラッチは少なくとも5回、FWS-75とD.Bを自身の本部に連れて行った。1992年7月中旬、最初にFWS-75とD.Bは連れて行かれた。彼女たちが着くと、兵士らのグループが待っていた。ドラゴリュブ・クナラッチはD.Bを別の部屋に連れて行き、彼女を性的に暴行した。FWS-75は兵士らと残された。およそ3時間の間、FWS-75は少なくとも15人の兵士らに集団レイプされた。彼らはFWS-75を性的に暴行するのにあらゆる方法を使った。性的暴行の間、ある兵士はナイフを取り出し、彼女の胸を切り落とすと脅したが、別の兵士がそういうことをしないよう注意した。この事件はモンテネグロの本部でFWS-75が経験した唯一の集団レイプだったが、ほかの時には同じ本部で1人かあら3人の兵士が順番に彼女をレイプした。

・1992年7月15日前後、ゴイコ・ヤンコビッチがFWS-48をムスレム人の空き家に連れて行った。14人のモンテネグロ兵士がすでにいた。ドラガン・ゼレノヴィッチが約8人の兵士を連れてきた。その中にゾラン・ヴコヴィッチがいた。ドラガン・ゼレノヴィッチは別の部屋にFWS-48を連れて行き、もし抵抗すればのどを切りつけると脅した。それから、ドラガン・ゼレノヴィッチは、少なくとも他の7人の兵士らとともにFWS-48をレイプした。ゾラン・ヴコヴィッチは彼女をレイプした6人目の男だった。性的暴行の間、ゾラン・ヴコヴィッチは何回も彼女の乳首に噛みついた。証人がこの噛みつきで血が出たにもかかわらず、7人目の男が彼女をレイプする時には、男は彼女の胸を強く握り、つまんだ。FWS-48は痛みで失神した。

・1992年7月23日前後、ドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-48をパルチザンの近くの家に連れて行ってレイプした。このことの間、ドラガン・ゼレノヴィッチは、良いセルビア人の子どもたちを産めと言った。この性的暴行の後に、特定されない1人の兵士が彼女を別の部屋に連れて行くと、他の女性たちが性的に暴行されているところだった。その時に、彼女をその部屋に連れて行った兵士がベッドの上にFWS-48を押し倒し、彼女をレイプした。

・その日の夜、パルチザンに戻されてから、ヤンコ・ヤニッチはFWS-48を他の2人の女性たちとともに連れ出した。FWS-48はレイプされている間、ゾラン・ヴコヴィッチとヤンコ・ヤニッチが隣の部屋で他の女性たちを同時に性的に暴行しているのを聞いた。

・1992年8月2日、ドラゴリュブ・クナラッチはFWS-75、FWS-87、FWS-50とD.B.をモンテネグロの本部に連れて行った。カリノヴィク女性収容所から来ていた女性たちもいた。この時に、ドラゴリュブ・クナラッチと他の3人の兵士らが、FWS-87をレイプした。数名の特定されない犯人らは、FWS-75を一晩中レイプした。FWS-50をレイプした1人のモンテネグロ人の兵士は、腕や足を切ると彼女を脅し、彼女に洗礼を受けさせるために(セルビア正)教会に連れて行った。

・1992年8月12日、ドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-48を2回レイプした。その夜、ドラガン・ゼレノヴィッチはFWS-48に、すべてが数日中に終わると言った。

・1992年7月から8月13日まで、FWS-95は、ドラゴリュブ・クナラッチ、ヤンコ・ヤニッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチが指揮する兵士グループによって、ほとんど毎晩、別の家とアパートに移された。ときには彼女一人だけ、ときには他の女性たちと一緒だった。これらのすべての出来事で、FWS-95はレイプされた。それは時には集団レイプだった。ドラゴリュブ・クナラッチ、ヤンコ・ヤニッチ、ゴイコ・ヤンコビッチ、ドラガン・ゼレノヴィッチが頻繁に彼女を暴行した兵士らの中にいた。

・1992年8月2日頃、ドラゴリュブ・クナラッチは、セルビア準軍事組織の地方当局の地位にいたペロ・エリズの協力のもとで、FWS-75とFWS-87および他の2人の女性をパルチザンからミリエヴィナに移送した。

・これらの行為および不作為について、ヤンコ・ヤニッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のf、拷問。

・人道に対する罪。法廷規定第5条のg、レイプ。

・重大な違反。法廷規定第2条(b)、拷問。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条およびジュネーブ条約第3条(1)(a)、拷問。

・これらの行為および不作為について、ドラゴリュブ・クナラッチも同様の罪に問われる。

・これらの行為および不作為について、ゴイコ・ヤンコビッチも同様の罪に問われる。

・これらの行為および不作為について、ドラガン・ゼレノヴィッチも同様の罪に問われる。

カルマン宅におけるFWS-75、FWS-87
および7人の他の女性に対する奴隷化とレイプ

・1992年8月2日から10月30日まで、空家のカラマン宅に、12歳から14歳までの少女を含む9人のモスレム人女性が拘束された。ラドバン・スタンコヴィッチはペロ・エリズ指揮下のエリート部隊の兵士であったが、この家の一種の「買春宿」のように運営した。パルチザン・スポーツホールと違い、拘束された女性たちには十分な食料が与えられた。家の中では監視や鍵が付いていなかった。彼女たちはペロ・エリズ部隊以外の兵士が入れないように、部屋の鍵さえ持っていた。彼女たちにはミレェビナ・モーテルの電話番号が教えられており、許可なく兵士がこの家に入ったら、そこに電話するよう言われていた。監視は付いていなかったが、彼女たちが逃げることは不可能だった。彼女たちはセルビアの兵士と住民に囲まれており、逃げる場所がなかった。8月3日頃から10月30日頃まで、ペロ・エリズは女性たちを自分個人の所有物として扱った。この期間を通じて、女性たちは繰り返しレイプと性的虐待を受けた。加害者のすべてがペロ・エリズ部隊の兵士らだった。これらの兵士の中にラドバン・スタンコヴィッチがいた。

・これらの行為および不作為について、ラドバン・スタンコヴィッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条(c)。奴隷化。

・人道に対する罪。法廷規定第5条(g)。レイプ。

・重大な違反。法廷規定第2条(b)。非人間的取り扱い。

・戦争法規慣例違反。法廷規定第3条(c)およびジュネーブ協定。個人の尊厳の重大な侵害。

ブレナ・アパートにおけるFWS-75とFWS-87に関する奴隷化とレイプ

・FWS-75とFWS-87のブレナ・アパートにおける状態はカラマン・ハウスで彼女らが経験したものと同じだった。

・FWS-75はこのアパートで家事と兵士の性的サービスをさせられた。ラドミル・コヴァッチと他の兵士らは頻繁に彼女をレイプした。1992年11月20日頃、ラドミル・コヴァッチはFWS-75と被害者A.B.をゼレンゴーラ・ホテルに近い家に連れて行った。ほぼ20日間、2人はセルビア兵士のグループに頻繁に性的に暴行された。2人の女性たちがブレナ・アパートにもはやいなくとも、ラドミル・コヴァッチはこれらのことに責任がある。

・2人はその後フォチャ近郊の他の場所に移され、約15日間、以前と同じ兵士らに頻繁にレイプされた。2人がブレナ・アパートに戻された後、ラドミル・コヴァッチはA.B.を200マルクで特定されない兵士に売却した。1992年12月に、FWS-75はヤンコ・ヤニッチに引き渡された。

・証人FWS-87が1992年7月に最初に拘束されたときには15歳だった。彼女は少なくとも8カ月の間、FWS-87はラドミル・コヴァッチのアパートに10月31日頃から1993年2月25日頃まで拘束された。この全期間を通じて、彼女はラドミル・コヴァッチと他の特定されない男にレイプされた。1992年10月31日から1993年2月25日頃まで、FWS-87はフォチャのアパートでラドミル・コヴァッチに奴隷化された。

・彼女と他の女性たちは性的に虐待されただけではなく、家事・雑事をやるよう強要された。ある場合には、FWS-75、FWS-87ともう一人の女性は、無理やり服を脱がされ、テーブルの上で裸で踊るよう強要され、ラドミル・コヴァッチはそれを眺めていた。

・1993年2月25日頃、FWS-87ともう一人の女性はラドミル・コヴァッチによって500マルクで2人のモンテネグロ人兵士に売却され、モンテネグロに連れて行かれた。

・これらの行為および不作為について、ラドミル・コヴァッチは次の罪に問われる。

・人道に対する罪。法廷規定第5条(c)。奴隷化。

・人道に対する罪。法廷規定第5条(g)。レイプ。

*無断引用、転載はご遠慮ください。

戦争と女性の人権博物館は、市民の支えで維持されています。 博物館の維持・発展のためにご支援、ご協力をお願いします。

郵便振替口座

【口座番号】
00170-6-266644

【口座名】
女性人権博物館

Copyright (C) 2008 「戦争と女性の人権博物館」日本後援会 , All rights reserved.